■3. 韓国が身近になった理由 - ③ -

3)李秀賢(イ・スヒョン)さんを描いた映画「あなたを忘れない」

  

考えてみると、韓流ブームが起きるまでに、いくつかの出来事を通して少しずつ韓国に親しみを持つ人が増えていったのは確かだ。

 

日韓ワールドカップ共同開催以前は日本と韓国との間でさまざまな政治的な問題が絡んでなかなか交流が進まなかったが、1998年に金大中(キム・デジュン)大統領が来日して、日本の小渕首相との間で未来志向の日韓パートナーシップが結ばれたことが大きかった。

 

それにより、韓国側からも歩み寄る進展があった。それ以前は、韓国では日本の大衆文化(映画や音楽など)の商品輸入が禁止されていたが、段階的に解禁されて受け入れられるようになったのだ。今では日本人のミュジーシャンや俳優の名前を知っているほどになった。

 

一方、日本でもアクション映画「シュリ」の大ヒット以降に韓国映画の認知度が一気に高まった。さらに、サッカーワールドカップを共同で成功させて、両国の交流がさらに進んだ。

 

しかも、若い女性の中では韓国旅行が定番になり、安いうえに近くて便利、また韓国料理やショッピング、エステといった若い女性が興味を示す魅力的な文化があった。

 

このように日本人が韓国的な文化を受け入れやすくなり、最終的に韓流ブームが起こったといえる。

 

しかし、その中の一つに忘れられない事故もあった。李秀賢(イ・スヒョン)さんが亡くなった


JR新大久保駅での事故である。

 

その李秀賢さんを描いた映画「あなたを忘れない」の特別試写会が、2007年1月に東京で行われた。その中には当然ペ・ヨンジュンのファンが多く、 韓流スターがただ好きなだけではなく、自分たちに何かできることはないかと積極的に考え、李秀賢さんの慈善事業に自ら参加していたのである。

 

ペ・ヨンジュン自身も慈善事業に取り組んでいるが、それはファンも同じだったのだ。本当に頭が下がる。

 

映画を見て、改めて李秀賢さんについて書いてみたい。

 

2001年、JR新大久保駅で酒に酔って線路に落ちた人がいて、その人を助けようと李秀賢さんと日本人カメラマン関根史郎さんが果敢に線路に降りたが、結局三人とも帰らぬ人となってしまったのだ。

 

この事故は当時非常に大きくニュースなどで報道された。特に日本に来ている韓国人留学生が慣れない異国にいながら、危険にさらされている人を助けようとして自らの命を省みなかったことに、日本人も大きく心を動かされたのだ。

 

彼は当時、韓国の早稲田大学といわれる高麗大学の学生だった。プサン出身で、とても強い意志を持ち、いつも前向きに生きていたことがわかった。それだけに一層、前途ある青年の衝撃的な死には悲しみは尽きないが、彼が最後まで自らの信念に生きたことは間違いない。

 

実際、李秀賢さんによって日本人の韓国、韓国人を見る目が変わった部分は少なからずあるだろう。

 

そういう意味でも、一人の青年の死は大きな日韓友好の種を植えていったのである。その流れの中で、韓流ブームが生まれたといっても過言ではない。

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